ベトベトでっせ

21時33分 → 22時25分 ぐらい

台風でえらいことでした・・・(泣
市ヶ谷へは、四谷から南北線にします。
休みに持ち帰ったおかげでなんとか追いつけそうです。
吉田さんちょっとご立腹な帰り道

おおっ。

政治評論家の早坂茂三氏が亡くなった。享年73歳。田中角栄元首相に師事し、心酔し続けた生涯だった。1962年、政治記者から田中蔵相秘書へ。以来23年間、元首相側近として敏腕をふるった。特に元首相がロッキード事件で逮捕・起訴された76年から85年2月に脳こうそくで倒れるまでの9年間、元首相に影のように連れ添った。
 田中内閣で首席秘書官を務めることはなく、中曽根内閣の上和田義彦氏や小泉内閣飯島勲氏のような存在とは異なる。刑事被告人ながら政界への影響力を誇った元首相「闇将軍」時代の「スポークスマン」(渡部恒三・前衆院副議長)というイメージが強い。
 元首相が倒れた後、治療をめぐって長女の真紀子氏と対立して独立。元首相の意向にそむいて田中派内で「創政会」(後の竹下派)を結成した竹下登氏らと一時、対立したが、後に復縁した。当時、竹下氏らと行動をともにした渡部氏は「彼がこの世で一番憎かったのは自分を解雇した真紀子さんだろうな。早ちゃんは真紀子憎さから創政会メンバーを許した。(小沢)一郎、(羽田)孜(つとむ)、恒三と呼び捨てにできるというのが晩年の彼の生きがいだったんだろう」と語る。
 99年5月、羽田空港を離陸しようとした全日空機内で、座席の背もたれを戻すようにという乗務員の指示に従わず、出発を40分遅らせた。竹下派人脈を背景に健筆をふるった評論家の退場は、この系譜の政治の終わりを改めて思わせる。【中川佳昭】

毎日新聞 2004年6月21日 22時26分