暴力を信奉する連中に通じるのは唯一、より強大な暴力のみ

11時半 晴れ(強風)
昼 鍋 のち
4時半 GC@焼きばーそ 他

瀧川裕英氏によると、「自己責任」という概念は、理論的には、時系列に従って、A.責務としての自己責任(ある行為を行う前に、行為者が配慮・注意すること)、B.原因としての自己責任(ある行為の結果が、行為者を原因とすること)、C.負担としての自己責任(自らの行為の結果を、行為者自らが引き受けること)の三つの意味に区別されるという。
「自己責任論」の魅力の一端は「効率性」という価値にあり、「効率性」という価値を簡単に否定することはできないのではないか、と瀧川氏はいう。
瀧川氏はこれを、新保守主義イデオロギーだといって、単に否定することはできないという。なぜならば、個人の「自由」・「公平」・「平等」とつながっているからである。そのことは、自己責任の原則=自分の行為の結果に対してのみ責任を負うこと、と捉えたとき、それがない世界を想像してみれば明らかであるとする。自分がしていないことでも自分が責任を負わねばならないとしたら、自分の人生を自分でコントロールすることができないことになる。すなわち個人が自分の人生をコントロールできる「自由」と「自己責任論」は結びつくために、否定しにくいといえるのである。